「『食』と『性』で健康」 第二章「東洋の養生医学と西洋の予防医学」(2)臓器移植がもたらしたもの

当法人の名誉理事長である多田政一博士の著書「『食』と『性』で健康 なぜ成人病は治らないか(1986年出版)」の内容を連載で掲載いたします。
※2025年まで発行していた機関紙「生活医学ジャーナル」Vol.766掲載内容の続きの内容になります。過去の生活医学ジャーナルの内容は、会員専用ページでご覧いただけます。
第二章 東洋の養生医学と西洋の予防医学
臓器移植がもたらしたもの
人工臓器は窮余の一策
ここで今ひとつとりあげなければならない最新の医療技術として「臓器移植」の是非があります。人体臓器の生理化学機構が明らかになるにつれて、病魔に冒された人の内臓機能を検査して、その病的臓器の内科的修復が困難とわかると、これに対して人工臓器(これは一種の科学機器です)を挿入して、救命するわけですが、そうした方法では人体は正常に戻ることは難しく大きな不便さはさけられません。そこで、当然他の人の健康な臓器を頂いて移植するという方策が望ましく、それも拒絶反応の少ない同種に近い(血族者)のような人の臓器が望ましいわけですが、そんなことは余程特別の事情がなければ不可能です。そこで交通事故などで、脳挫傷で急死状態に近い人の内臓を生きている間に摘出移植することが登場してきます。しかし、まだ生きている人の臓器を摘出することは殺人を犯すことになるので、最近“脳死”の判定を基準化することが問題化してきたのです。
しかし、もっと根本的なことは、薬とメスの科学的西欧医術では臓器の修復は不可能なので、そこから人工臓器からさらに人間臓器の移植による延命ということがおこってきているということです。ところが人工臓器の方は、結局理化学的器械ですから、これを人体に挿入しても、生体にはなじみません。たとえば腎臓の場合、腎臓が病化して人体に有害な尿毒を輩出し、同時に人体に必要な血液成分を残すという作用が減退すれば、たちまち生命にかかわります。
そこで人工腎臓でさしづめこの生命にかかわる働きを代行せしめて、生命の危機を一時的に回避して延命を果たすところに、この医療の意義があるのです。しかし人工臓器は決して生体腎臓の働きのすべてを果たすわけではありません。たとえば、健康な生体腎臓はレニン体という生体ホルモンを分泌して、これが人体の動脈硬化(老化)を防いでいます。人工臓器にはこんな機能はゼロです。とすれば人工臓器でさしづめのピンチを防ぎ延命に成功したとしても、やがてレニン体の働きの欠如から脳硬化症がやってくることは確実です。すなわち、人工臓器とは生体腎臓の修復となるのではなくて、当面の窮余の一策であるということで、延命に役立つということです。
臓器移植は治療でない
そこでこうした理化学機器の代わりに、人体に二個ある腎臓を人体から生きている状態で摘出して病者に移植すればという技術が開発され、たとえば子供の腎不全を救うために母親の熱願で、母の腎臓を移植するケースがありました。この場合は母と子という近親血縁のため拒絶反応も少なく理想状態と考えられましたが、母と子でも母子不適合という生物的異質性がよくあります。それは父の遺伝子が関与しているためでしょう。
生体特に個人差が最高に発達した人間の場合、一人一人の生物的特性は極端に発達しています。だから拒絶反応がないということは程度の差はあってもありえません。そこで移植にはかならずこの拒絶反応の抑制剤の投薬を必須とします。もし生体から拒絶反応をとり除くことができれば、たとえば人間の血だろうが、動物の血だろうが相互に輸血することさえ可能かも知れません。臓器も同じです。否、生物の特性が次第に分化して、品種とか種類をつくりだし、特に万物の霊長の人間では、同族ではあっても、民族性とか個性とかいう特質が極端に発達したことは間違いありません。
だとすると、この拒絶反応をとり除くということは進化の足跡に逆行することです。人工的に進化を促進することは、甚だ大難事であって、ほんの瞬時に放射能などで珍種をつくりだすことはできても、とうていこの珍種を継代繁殖させることは不可能です。
進化の過程は、何千、何百、何億年に行なわれてきた史実ですが、人工的珍種の出現などというのは、この天文学的歳月からみればほんの超一瞬の出来事で、継代繫殖などは思いもよりません。しかし遺伝子の構造を人工的に解明して、これを操作できるようになるということは学問上の価値は大きいことはもちろんです。だからといって、これを医療上にただちに活用して、拒絶反応を操作し、生体移植をすることが、不治の腎臓病患者への治療だとすることは誤っています。これは重ねていうように延命ではあっても、治療ではありません。
延命医療がもたらしたモルモット人間とボケ
しかし患者の側からいえば、難治の疾患に侵された人の命をせめて一日でも延命したいというのが人情でもあります。この需要にこたえるところに近代(西欧)医術の使命があったわけですが、それが遂にモルモット人間やボケ老人をつくりだし、本人よりも周囲に大難題を生みだし、一家の崩壊にまで至る実情がおこるにつれて、現代医療の本命たる延命主義が大きな壁につきあたったのです。
では一体どうしたらよいのでしょうか? 日本の現在の医療は、世界最良の医療保険制度のもとで、患者は経済力がなくても最高の医療をうけられるようになり、大変な福祉とうけとられて二十数年になりますが、その医療というのは既述のような救急と延命の医療なのです。それが先に詳述したように世界一の平均長寿国になった日本人の晩年の約三十余年を、成人病(生活習慣病)からボケ老人、さらにモルモット化老人を激増せしめる現実をみて、庶民大衆はこれに対する不安が増大してきたのです。深いことのわからない国民大衆の不安から、健康食品や自然食品、さらに東洋医学式の薬草や民族医学への関心が増大してきました。それは決して保険や無料で手にはいるものではありませんが、生命は金銭にかえられません。そこからこの数年来、未曽有の健康志向ブームがやってきたのでしょう。
しかし、この動向に対して、医療界や有識層は延命医学からの脱出の方向を明確にしていません。まさに健康指向をめぐって世情は混乱と百鬼夜行の状態というほかありません。
個人の延命が子孫の滅亡につながる
分子医学の本質に多少ふれねばなりませんが、最近のバイオテクノロジーの進歩が遺伝子の操作まで可能にし、試験管ベビーといわれる人工授精どころが、動植物の遺伝子を操作して種子なし作物(蔬菜)や季節なしの作物、雄精ぬきの卵というように発達し、あたかも大地も雄も雌も、父も母もいらないで増産ができる人工的手法の方向へ発達するような勢いをみせています。実際、人参や大根の種子(生殖細胞)がなくとも、彼らの体細胞をバイオで操作して、クローン人参や大根がつくりだせる段階にきています。もしこれが人間にも可能になれば、昔の孫悟空の話のように、毛を抜いて吹くとたちまち千匹万匹の猿が出現するようなことになるでしょう。こうなると人間の生命などは、戦時のハガキ一枚の兵士の生命どころでなく、ほとんど貴重感がなくなるかも知れません。
さて、癌細胞を制癌剤や放射線で攻撃し、死滅させることが、さらにバイオで進み、人工的な免疫体を試験管の中でつくりだし、人体内に送りこんで癌を解決しようとするのも、あるいは人工臓器を移植して肝・腎・膵などの死病を延命させようという発想も、すべて一時の延命のために用いられても、人間らしい死からいっそう遠ざかるばかりです。
高等動物の生殖作用を人工的に操作して、たとえばライオンと虎とを試験管的に受精させて、かろうじてレオポンという新動物をつくりだしても、それはしばらく生きつづけたとしても、次代の繁殖ということは全く不可能です。同様に現代植物の種子をバイオで操作して、増産に都合のよい新種子がつくられ、大きな商売にされるようになりましたが、この種子からできた作物は“一代限り”です。そのため、農民はその種子を毎年新しく買わされる破目になり、また安易に増産できることを繰り返すと、今度は大地の手入れは忘れられ、荒れた大地へとすすみます。
このように、バイオという技術はかえって天地の間に繁栄してきた生命を人間の利欲のために滅亡に追いこむことになりかねません。かりに大切な個人の延命をバイオの人工技術によって果たしえても、人間の子孫の繁栄を無視される結末をまねくのでは、決して医の正道とはいえないのではないでしょうか。

